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明石隼汰の歴史
(03/2/18現在)
- 196X年7月29日生まれ。去年から (誕生日がなくなる代わりにお得なプラン)。獅子座B型。福島県福島市出身。両親は画家。「子供の自主性に任せる」という美術教育の影響で絵の教育は全くされず、おかげで美術の道に進まずにすんだ。
- 少年時代は大のTVヒーローソング好き。父の買ってくれた子供のための英会話テープをヒーロー番組の主題歌録音で潰し、音楽と親しむ。がお気に入りだった。中学になって、ブリティッシュ・ロックとの出会いが第2の音楽人生の始まり。
- 1977年初夏、クラスの友人が買ったばかりのエレキギターを持ってくる。その日震度6のが起こり、彼はギターを残しほうほうの体で帰る。それがきっかけでギターを始める。
- 高校時代、当時の音楽少年がみんなしたように、某社のオリジナルソング・コンテストに応募しては、県大会、東北大会とコマを進める。と共演したことも・・・
- へ行きたかったので、北海道教育大学函館校音楽科へ。FLASHというバンドを結成し、今やGLAYの聖地である「あうん堂」などでもっぱらライブ。レコードを自主制作し地元で話題になったりもした。各コンテストも決勝まで進むようになり、すかんちやフラットバッカー(後のEZO)と共演したりも・・・
- 大学在学中、からアメリカ・テネシー州、メアリービル大学へ交換留学することに。海外へ行く夢が本当に実現する。そこで作曲法と高等和声を学ぶ。クラシック音楽との出会いは自分の音楽性を新たな高みに押し上げることに。
- 大学卒業後上京、や英会話教材の編集などをしながら自分の音楽性を磨く。
- 1988年、ピッカピカ音楽館「きょうりゅうデート」で作曲家デビュー。以後、子供の歌、学習教材、アニメソング、CMなどを中心とする楽曲を幅広く手がけながら、アーティスト活動を細々と続けるが、売れず。それはそうである。自分の音楽性がものだったからだ。これに気づいてから心が軽くなり、1995年Colorless Blueを結成。現在の音楽性を確立する。
- 自作品が、リトル・エルニーニョ・レコード社長さいとういんこの耳に止まり、1998年CD化の話が実現。時代のおかげでもあろう。
- 2000年4月、長年のバンド仲間・大田研司と2人で、なんとなくアコースティックユニットを結成。してみたところなんかいい感じに話が進み、同年10月より "Holonic Platinums" と命名し活動を本格的に開始。CD2枚も出しちゃったりして。現在活発にライブ活動を展開中。
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